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永禄3年(1560)5/9、今から447年前、駿府の今川義元が2万5千の兵を率いて岡崎城→知立城→沓掛城を経て、鳴海城と大高城をめざしざし、三河一帯の支配に乗り出した。 義元が、 今朝攻め落とした鷲津・丸根両砦の朗報を聞きながら桶狭間で休息をとったところ、 清洲城を出陣し熱田神宮で祈願した信長軍が善照寺砦から中島砦を通り今川義元の本陣を急襲した。 義元討死の現場の1つは中京競馬場前駅のそば(豊明市南舘)、 他は3kmほど西の地点(名古屋市緑区桶狭間北3)で、 互いに本家争いをしている。 | |
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| 豊橋で止まる列車は、品川でなく東京発。 | まるで修学旅行のようにわくわく。 | 豊橋で、名鉄名古屋本線に。 |
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| 東岡崎で降りて、 | 地下道で道路を横切って、駅を振り返る。 | 駅の正面通り。あの1本松が明代橋の入り口。 |
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| ここがその入り口(駅は右方向)。 川の名は乙川(おとがわ)。 | 明代橋からの風景。 向こうに見えるのが殿橋(とのはし)。 | 殿橋方面に向かう。川辺は歩道が整って。 |
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| 殿橋を過ぎて振り返ったところ。 | 殿橋からこちらに伸びる茶色の小道が「竹千代通り」。 | 前方にこんもりとした所が見える。 |
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| そこに入ると、もう城が見える。 | 5分歩けば、赤い橋。く〜っ、懐かしい。 | 何とも優美なこと。 春は桜が東海一。 |
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| この橋の上からの眺め。 | 段々を登りながら振り返る。 | 岡崎城を見上げる。 |
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| 城の外は立ち入り自由。 近所の人は自由に通行している。 | 帰路の殿橋。 | 東岡崎を出て途中の新安城駅。2005年11月に三菱自動車岡崎工場を訪れたときははここで下車した。 |
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| 戦国時代の地図。 今川義元は、 駿河・遠江・三河(家康)を支配下に置き、 甲斐・信濃(信玄)や相模(北条)と和平を結んで、尾張(信長)を侵略しつつあった。 | 義元討死の現場の1つは中京競馬場前という駅のそば。 競馬場行きの客待ちタクシーが駅前で列を成しているだろうから、 それで古戦場を一巡りだ、 アッハッハ! | と・・・・。 いない! 一台もいない。 この暑いのに歩くの? |
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| テクテク歩いて、 信用金庫を左に入ると、 | 忽然と現れた公園。 これがそうらしい。 | 確かに石碑も立っている。 |
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| 義元がここで死んだことが書かれている。 | ぼんぼりが並ぶこぎれいな公園で、今はその面影もない。 | ひっそりと義元の墓があるぐらい。 |
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| ギク! 義元の死体か? 何じゃ、 サボリ学生か。 | すぐ隣が高徳院という寺で、 義元の本陣を置いたところ。 | これが両軍の進路だという。 |
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| 今度は、もう1つの名古屋市緑区桶狭間北3の古戦場公園。 | ほらね、 こっちも古戦場で、 義元討死の現場だ。 | ここでは、 両軍の進路はこうだと。 |
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| ここが本当の現場だという。 | 長福寺の前の大池(前掲の地図参照)。 | 長福寺のお坊さんが義元陣に酒や料理を振舞ったため信長に一気にやられ、 大変な死者の数が出たらしい。 |
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| さて、 刈谷に到着。 | 南口に出ると、 何もなくて長い塀で視界がさえぎられている。 | 塀の中は広々とした工事現場。 |
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| 将来、 こんな立派なものが出来るんだと。 | 宿泊予定のホテルが、工事現場のすぐ。 | 名鉄イン刈谷 は、姉歯設計による耐震性不足で、建て直し中だ。 |
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| 刈谷と言えば、 アイシン精機、 | デンソー | トヨタ紡織、 トヨタ車体などの本社が集まる金持ち都市。 |
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| ところが刈谷駅北口(名鉄+JR)はこんなに小さい。 なぜ? | 帰りは、 大高、 熱田など、 桶狭間の戦いにゆかりの地名の駅が続いて、 | 品川に着くと、 もう帰った気分。 早く寝よう。 |