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客観説 TQM-品質管理 ─ 反論のご紹介
  このページは、 お寄せ頂いた反論のうち、 参考になると思われるものを選んで公開するものです。

  勿論、 いくら反論しても客観説TQMを覆すことはまず不可能です。 しかし、 反論を読めば、 理解も深まるというものでしょう。 ただし、 当サイトに初めて訪問された方が以下の反論をお読みになるのは、 第1章、 第2章、 および学会発表(1) の後にされるのが賢明です。 さもないと、 読んでも意味を理解できない場合があります。

  なお、 実名の公開をご希望されない限り、 原則として匿名希望として扱っております。

反論(14) 体質強化を待てない
反論(13) 予測効果と呼ぶべし
反論(12) 目標設定は実行段階か?
反論(11) 目標を後で変更する案
反論(10) 管理技術不要論
反論(9) 目標にデータは不要
反論(8) 経営者と担当者の反省
反論(7) 中改善
反論(6) 公差の中央が目標
反論(5) パレート図を使う理由
反論(4) 売上げ増加の目標
反論(3) テーマ選定と重点管理
反論(2) (多数の論点)
反論(1) 目標がないと不自由

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反論(14)  匿名希望 2008-04-17
  客観説の方針管理で、「願望を満たすような目標が立たないときは、 体質を強化しなければならない」 とありますが、 トップからは 「クレームが頻発し原価も高い現状では、 体質が強化されるまで手をこまねいて待つわけに行かない」 と言われました。

  この反論への説得方法を教えて下さい。

[回答] 簡単なことです。

  「今回一流大学に合格したい」 との願望があるときでも、 「じっくり勉強して、 実力をつけよ」 というのは当然のことで疑問の余地はありません。 「そんな悠長なことを言っていられない」 というならカンニングをするしかありません。

  これは、 もはや方針管理の議論ではなく、 「いかに体裁を整えるか」 の議論になります。

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反論(13)  匿名希望 2006-06-07
  客観説では「従来の考え方で言う目標は願望であり、手段をいろいろ検討して、成功しかつ最善の結果をもたらす手段を選んで、 その場合の結果を目標と呼ぶ」ものとしています。

  しかし、私達は、いろいろな願望のうち実現を決意したものを目標としています。 そして、いろいろな手段を検討して選んだ最善の結果を「予測効果」と呼んでいます。

  以上のように理解するのが正しいと思います。

[回答] 2つの間違いがあると思われます。

 1. 最善が分からないから狙えない。
  目標とは「狙うもの(対象)」をいいます。 願望を絞っても「絞った願望」になるだけです。 手段未検討のこの段階では何が最善か不明だし、 狙う手段もないので、 狙えるはずはなく目標は立ちません。

 2. 検討段階
  対策案A,B,Cには、それぞれ予測効果があります。 そのうちA、Bの予測効果は狙わず、Cの予測効果を狙うことに決めた場合に、この「狙うことに決めた予測効果」が目標です。 それを「予測効果」と呼べるはずはありません。

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反論(12)  匿名希望 2004-11-15
  客観説の方針管理では、 検討が終わってから目標を設定するから、 実行段階になってしまう。 実行段階で目標を設定するのはおかしくないか。
[回答]
 「目標=狙うもの」 ですから、 目標が決まらなければ手段を実行できません。

  1. 企画段階
  ニーズ (必要性・願望) を明らかにする。 これは目標ではありません。 この段階では最善が何か不明だし狙う手段も不明だから、 狙い(目標)は定まりません。

  2. 検討段階
  手段を検討し、 可能性と最善性を明らかにし、 採否を決定する(採用決定=目標設定)

  3. 実行段階
  採用決定なら、 実行に移る。

  4. 終結段階
  結果 (目標達成率) を確認し、 反省 (経営者の反省、担当者の反省) をする。 しかし、方針管理は一発勝負であるため、 細かな点は修正できても根本は修正できません。

  従って、検討段階と実行段階は明確に区別されます。   

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反論(11)  匿名希望 2004-11-15
  先にデータなしに不良ゼロを目標にして、 後で不良半減が最善だと分かったら、 目標をそのように変えればよいのではないか?
[回答]
 1. 毎回目標の取り消しを繰り返すか?
  「不良ゼロ」 の目標を 「不良半減」 に変更するのは、 前の目標がまずかったからです。 では、 なぜ、 まずい目標を立てたのですか?

  その答えは、 検討せずに当てずっぽうに目標を設定したからです。 従って、 「不適当な目標」 として取り消し、 次回からはそのような目標は設定しないように手順を反省することになります。

  それとも 「まずい目標だった。」 と、 毎回目標の取り消しを繰り返しますか?

 2. 実は変更は不可能です。
  最初の目標は、 まだ手段が分からないうちのもので 「これからそのような手段を探します。」 という挑戦の決意です。

  後の目標は、 手段が分かった後のもので 「これから実行して実現する。」 という実現の決意です。

  つまり、 挑戦の決意と実現の決意は別々の決意であって、 相互に入れ替えはできません。

  なお、 予定変更説 を参照して下さい。   

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反論(10)  匿名希望  2004-11-15
  先にデータなしに立てた目標は 「願望、ノルマだ」 とのことですが、 それは単に言葉の違いや呼び方の問題に過ぎず、 改善を進めるに当たって重要な事項ではないと思う。

  重要なのは、  いろいろな手段を工夫することだと思う。

[回答]
  1.人間は言葉で考えるのです。 言葉の問題、 呼び方の問題といえばそうかもしれないが、 そうであればなおさら重要な問題となります。

  2. 「改善で重要なのは、 いろいろな手段を工夫すること」 とありますが、 それは 固有技術 は重要だが、 手順や目標などの 管理技術 はどうでもよいと言っているワケで、 賛成できません。

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 反論(9)  匿名希望  2004-11-15
  客観説TQMの目標はデータで裏付ける必要があるとのことですが、 私の知人の経営者はデータ的に裏付けることをせずに 「不良ゼロにせよ。」 の目標を設定して、 現に不良ゼロを達成しました。

  従って、 そのような客観的目標というようなものは敢えて設ける必要はないと考えています。  この点をどう説明されますか? 

[回答]  そのようなお話は一般に 経験談 と呼びますが、 無批判に取り入れてはなりません。

  • 逆にお尋ねしますが、 その知人の経営者のように行って失敗した事例はどのぐらいありますか? 何百倍ありますか?
  • 「まじめに働いて稼ぎなさい。」 との教えに対して、 「私の知人は遊び半分で宝くじを買って、 これが当たって大成功した。」 との事例で反論するのと似ていませんか?
  • 「ノルマを与えて煽れば済む」 というのは楽な経営です。 そのような安易な経営姿勢では、 現今の企業経営は乗り切れません。
  • 「不良ゼロの目標を設定すれば、 なぜ、 不良ゼロを達成できるか」 というメカニズムが示されていません。 メカニズムがないのに、 どうして納得できたのでしょうか? それで納得するなら、 一種の宗教であって、 いくら理屈を説明してもムダです。  そういう方は、 データアプローチやプロセスアプローチなどの科学的な立場に立つことなく 「原価ゼロの目標を立てれば原価ゼロにできる」 のでしょうから、 それを実現して頂く以外にありません。 

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 反論(8)  匿名希望 N.A. 氏 2004-05-01
  客観説TQMは、 反論に関する基準を図のように説明しています。

  これによると、 経営者のニーズに対して低い目標で終わったときはその差について経営の反省事項であり、 高い目標が立ったときに実績が低いときは、 その差について担当者の反省事項であるとしています。

  しかし高い目標が立った場合でも、 実績がニーズよりも著しく低いときは、 やはりその担当者の素質を問題とすべきであり、 担当者の反省だけでは済まないと思われますが、 いかがでしょうか?

[回答]  お説の通りで、 客観説としても同様に理解しています。 即ち、 目標が高い場合に、

  目標の高さ−ニーズの高さ=担当者の反省
  ニーズの高さ−実績の高さ=経営者の反省

であって、 図は前者を示しています。

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 反論(7)  匿名希望 S.T. 氏 2004-04-30
  客観説TQMは、 大改善と小改善を区別することが理論の中核となっていると思います。 しかし中改善がないことになり、 実態にそぐわないと思います。

  実際の活動はむしろ大半の改善は中改善 (数万円から百万円程度) であって、 客観説では目標を設定するかどうか、 活動テーマを選定するかどうか、  途方に暮れてしまいます。

  従って客観説は理論としては面白いが、 貴兄が主張するほどの実用性はないと思います。

[回答]
  中改善という概念はありません。 「この程度の金額なら、 失敗しても問題にならない」 と判断するなら小改善だし、 そうでない場合は大改善です。 その判断基準は、 企業により、職場により、 時代により一定しません。

  貴方は、 数万円から百万円程度を中改善とする基準を設けていますが、 まず、何を 「中改善」 と呼んでいるのか定義してみて下さい。 基準を設ける以前の問題です。

  大改善の中でも、 金額が大きければ慎重さの程度は厳しくなり、 金額の比較的少ない大改善は蓋然性や最善性の保証もそれなりに緩いものとなります。 必要性の程度が違うからです。

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 反論(6)  匿名希望 T.I. 氏 2004-04-21
  私はいま、ある製品の塗装膜の厚みを公差の中央に持って行くための改善 (小改善) を行っています。 当然、 「公差の中央の膜厚」 が目標です。 鵜沼さんのお説だと、 小改善では目標を設定しないとのことですが、 これが目標でなくて何だという気がしますが、 如何でしょうか。
[回答]
  「膜厚を公差の中央に持って行く必要がある」 というニーズは、 貴方が目標を設定する以前から存在するのであって、 貴方が目標を設定しようがするまいが関係のないことです。 そして、 貴方は、 そのニーズを満たすことに努力しているわけで、 目標とは無関係です。

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 反論(5)  匿名希望 A.T. 氏 2004-04-10
  小改善はテーマを選定しないし重点管理の適用もないことに関して、 さらに疑問があります。

  [QC 改善事例-質問と回答] の質問[1] の中で、 パレート図が使われています。 もし重点管理の適用がないなら、 パレート図を示す必要はないはずです。 これは矛盾ではないのですか?

[回答]
  大変によい反論を頂いたと思っています。

  [QC 改善事例-質問と回答] の質問[1]の事例では、 医事課からの電話回数が最多ですが、 検討着手も対策実行も、 医事課が先と限りません。 医事課が最後かも知れません。 真っ先に対策が浮かんだものから実行しても構わないからです。

  そうならパレート図は不要ではないか?

  このパレート図に示した部署別電話回数は、 この中のどれか1つというのではなく全部やるし、 多いものから手をつけるわけもないから、 優先問題も選定問題もないのです。  従って、 重点管理を適用しているわけではありません。

  ただ、 ワースト3が解決したかどうかを示しておく必要があります。 なぜなら、 もし解決しないと、 「金をかけても改善しなくてはだめか?」 という問題が残るからです。

  [QC 改善事例-質問と回答] の質問[1]の事例では、 ワースト3も改善され、 「その心配はないよ」 ということを示しています。

  従って、 パレート図を示したからといって、 小改善に重点管理を適用したわけではなく、 格別の矛盾もありません。

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反論(4)  匿名希望 K.A. 氏 2004-04-08
  「目標を設定する目的は、 大金を投ずる場合の見返りの保証、 及び最善性の保証にある」 とのお説は、 大変に興味をそそります。 しかし、 そうだとすると、 例えば 「売上げを増やす」 という長期方針を立てても、 テーマ・ストックは蓄積されないことになります。

  なぜなら、 売上げ増加のよい手段があっても、 「これで売上げが30%増加する」 という確実なデータがとれないからです。  すると、 「売上げを30%増加する」 というような方針を立てることは不可能になり、 方針管理が成り立たないことになります。

  そうなってしまう根本は、 目標の捉え方 (客観説) に問題があるからだと思います。

[回答]
  主観説の場合は、 願望(または、 それに近いもの)が目標ですから、 目標は容易に立ちます。 その反面、 目標が立っているからといって結果は全く保証されません。

  では、 どのような判断によって売上げ増加の手段を講じているか。

  いろいろなポートフォリオ、 他社の動向、 市場調査、 アンケート、 その他の環境データによって判断します。 そして、 具体的な手段を前提に、 「これなら行けそうだ」 という見通しが立たないと踏み切れないはずです。 その場合、

  • 30%は難しいが、 20%増加なら行けそうだ〜という場合は、 20%が目標になる。

  • 全く見通しが立たない〜という場合は、 はやり目標は立たず、 やるなら失敗覚悟で(目標が立たなくても、 実行に移すことはあり得る)。

    ....ということになります。 お説のように、 確かに 「はっきりとした目標が立たない」 というケースが多いことは否めません。

      しかし客観説では、 失敗覚悟の活動か、 どの程度の保証があるかということが問題になるので、 設定者もそれなりに必死に調査するようになるでしょう。

      また設定者以外の第三者による審査の過程で明確にされるので、 主観説のような不透明な目標よりは遥かに合理的だということになります。

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    反論(3)  匿名希望 A.T. 氏 2004-03-20
      「小改善はテーマを選定しないし、 重点管理の適用もない」 とのお説は納得しかねます。 小改善テーマは多数あるはずです。 すると、一度に全てに取り掛かることが出来ず、 何かテーマを選ぶことになります。 どうせ選ぶならワースト3を選ぶべきであり、 テーマを選ばないとの客観説は説得力がないと思います。

    [回答]
      重点管理は、 ワースト3を優先する優先問題と、 ワースト3を放置しないという選定問題を含みます。
      (1) 優先問題
      「一度に全てに取り掛かることが出来ず、 何かテーマを選ぶことになる。」 というのは、 優先問題です。 何を優先するかは、
    1. 安全に関すること。
    2. 顧客が要求していること。
    3. 対策を思いついたもの。
    4. ワースト3
    の順にするのも一つの考え方です。 ただし、 大方片付いた後は、 発生順に手をつけることになります。

      しかし、 「やってみたかった」、 「何となく」 という手のつけ方はダメかというと、 それでも何もしないよりは遥かによいのであって、 禁止する理由がない。 しかし、 発表するとなると、 「何となくやってみたかった」 と説明するわけにも行かず、 結局、 ウソをつくことになる。

      その意味でも、 「取り組んだ理由」 や 「取り上げた理由」 の説明を求めてはいけないことになります。

      (2) 選定問題
      次に、 「するかしないか」 の選定問題では、 大改善と違って小改善には 「理由がなければ取り組んではならない」 という制限がありません。

      従って、 事例発表会などで発表される 「取り上げた理由」 というのは不要だし、 また、 虚偽だということになります。

      小改善でもテーマを選定する必要があるとする説に立つなら、
    1. 選定する必要があるとする根拠
    2. 選定理由がないときは、放置するのか?
    3. 小集団はどうやって小改善テーマを判別して選定するのか?
    4. 小改善テーマを判別・選定すると施策実行型しかなくなる問題はどうするのか。
    を説明せねばなりませんが、 それはできないと思います。 小改善は掃除のようなもので、 なぜそこを掃除するかだの、 どこから先にするかなど、 問題にする意味がないと言うことです。

      (3) トラブルの内容
      事例発表では、 「こういうまずいことが起きているから取り組んだ」 と発表する例が結構多いと思います。 これはトラブルの内容であって選定理由でないこと、 言うまでもありません。 

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    反論(2)  匿名希望 F氏 2003-10-09 
    1.  単に挑戦を決意しただけの目標を 「主観的目標」 とし、 達成を決意した目標を 「客観的目標」 と定義することに格別の異議はありませんが、常に前者が悪く後者が望ましいとする論調には賛成しかねます。 「どこまでできるか判らないが、ともかくできるだけやってみよう」というような目標もあって良いし、 そのような目標に挑戦する姿勢があながち悪いことであるとは思えません。
    [回答]
      そのような挑戦があってもよいことは同感です。 しかし、 お説の「目標への挑戦」は、 「ニーズへの挑戦」 というべきです。 なぜなら、 そのように表現すると、 後に 「達成の対象 」が決まったときに、 それを目標と呼べなくなるのです。

      いま、 不良ゼロのニーズに挑戦します。  しかし、 挑戦することと実現することとは別問題です。  

      いろいろ検討してみると、 不良ゼロは必要な投資が10億円もかかりランニングコストが高くて赤字になるが、 不良半減なら100万円ほどで実現できることが分かって、 不良半減を実現することにした。 つまり、  前者は検討はしてみたが実現しようとしたわけではないから、 目標ではないのです。 後者が目標です。

      このように考えると、 新たな発見があります。 不良ゼロに挑戦しようが不良半減に挑戦しようが、 することは同じです。 A案、B案、C案、 と全ての案を検討して最善を選ぶ。 つまり、 特定のレベルを挑戦の対象に掲げても無意味なのです。 全てのレベルに挑戦して最善を選ぶと考えれば、 特定のレベルを挑戦対象として掲げる必要もなくなります。 このようにして選んだ最善の対象は、 データに基づくものだから、 「当てになる目標、 かつ最善の目標」になります。
      しかも、 出費の少ない小改善では、 最善を選定する必要すらなく、 従って目標を設定する必要がないことになります。


    1.  3つの指摘事項
    [1] 目標を設定しただけで具体策が何もない場合と達成の段取を精密に用意している場合とを対比すると、 後者の方が望ましいことは明らかです。

    [2] しかしこのような対比は主観的か客観的かというよりは目標達成に関して成行き任せであるか計画的であるかの区別であると思います。 そしてこのことに関しては、 品質管理は終始一貫して「計画的であるべきだ」という立場をとっています。

    [3] すなわち貴兄が言われる 「従来のTQMは主観説が中心」 というのは適切な表現ではなく、むしろそれは 「品質管理をやっていない状況」 だと言うべきだと思います。

    [回答]
     [1] 後者の方が望ましいことが明らかなら、 客観説に賛同すべきでしょう。 なぜ、 主観説に固執するのですか?

     [2] 品質管理が終始一貫して計画的であるべきだとの立場をとっていると理解されるなら、 客観説に賛同すべきです。 主観説に立ちながら 「計画的であるべし」 と説かれるのは、 意味不明です。

     [3] 従来のQCストーリーは目標設定の時点で対策は用意されておらず、 データもなく、 主観説であったことについて疑う余地はありません。 また対策が用意されていて、 必要な出費、 生ずる効果、 副作用などのデータがあるなら、 客観的な判断が可能であることに疑う余地がありません。
      品質管理をやっているか否かの問題ではありません。


    1.  品質管理では目標(O)を達成するために何をすればよいかを考え(P)、 その計画を実施し(D)、 結果をチェックして(C)、具合が悪ければ計画を修正することを求めています。 すなわちPDCAのサイクルを回しながら目標(O)の達成に限りなく近づいていこうというのが品質管理的なアプローチです。

        目標に対してやみくもに立ち向かうだけのアプローチ、 すなわち O→PDCA でない、 単なる ODCAは 「品質管理的でない」 として排除しているやり方です。

    [回答]
      「目標(O)を達成するために」 のところを 「ニーズ(N)を満たすために」 と言い換えれば、 客観説の趣旨を理解できると思います。 ニーズと呼ぶべきものを 「目標」 と呼んでいませんか?
      そのように呼び違えているために、 本来の目標を忘れているのです。

      管理サイクルは、 出費の多い活動(大改善)と少ない活動(小改善)を同一に考えてはなりません。 出費が多いほど、 一度実施したらそれで終わりという傾向を強めて行きます。 高額出費の場合に、 「管理サイクルを回して次第に良くして行こう」 などと考えてはなりません。 一発勝負ですから、 目標は当てになること、 最善であることが必要になってきます。

      その反面、 小改善は目標を設定する必要がなく、QCストーリが極めて単純で、 頻繁に管理サイクルを回すことになります。

      目標に対してやみくもに立ち向かうだけのアプローチとは、 貴方が主張している主観説のことです。 主観説が 「あるべき姿」 を目標とするのは、 そのためでしょう。


    1.  データを捏造するとか世間体を気にして格好をつけるとかのことは単なる 「モラルの問題」 であり、 品質管理の方法論の問題ではないと考えます。
    [回答]
      その「単なるモラルの問題」が、 TQM理論の欠陥に由来して発生するとき、 放置してよいことにはなりません。
    • 目標が高いほど、 挑戦心も高い。
    • 目標に根拠は要らない。
      このように指導するると、 挑戦心が低いと思われるのは嫌だから、 誰しも低い目標は立てなくなり、 絵に描いた餅がはびこって目標に体裁が入ってきます。

      また、 体裁を考えて目標を設定した人が、 達成率では全く体裁を考えないのは考えにくいことです。 データ捏造の傾向が現れることは、 極めて自然な成り行きです。

      これを単なる 「モラルの問題」  として放置するのは無責任でしょう。 指導する側が反省して、 データに基づかない恣意的な目標設定の習慣を改める必要があります。



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    反論(1) 匿名希望 K氏 2003-06-21 
      目標で改善の程度を示さないと、 どのような手段を考えたらよいか分からないことになります。
    [回答] それは違います。

      先に改善の程度を限定してしまうと、 最善の対策、 最善の結果は何か、 というアプローチを妨げます。 最善の結果を求めるには、 自由で多彩な考案を妨げないことが大切です。 どのレベルに改善するかは、 対策案が全部出揃ってから決めればよいことです。

      事例で説明しましょう。 いま、「不良ゼロ」の目標を立てたとします。 お説によれば、 これは不良をゼロにする手段を考えよとの指令になります。

      しかし、 不良半減なら10万円で可能だが、 ゼロだと10億円かかるという場合があります。 ゼロに拘束され、 半減という最善を見失うのです。

      目標を設定するには、 最善で、 かつ実現可能なものを設定すべきです。 それには、
      (1) まず定性的・網羅的に手段を列挙します。 費用や効果の数値的なことは抜きにして、 とにかく何らかの効果ががありそうな対策案を全て列挙します。
      (2) その後に、 費用や効果の数値的な評価をして最善を選ぶのです。
      (3) 「目標が30%だから30%の対策を考える」 のではなく、 30%の対策が最善と判明したから目標を30%に設定するのです。

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