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第2章 目標(値)の設定
従来のQCストーリーでは、 まず目標値を設定しなければならない。 「目標値を高く設定すれば挑戦心も高く、 目標値に根拠はなくてよい。」 と指導されるので、 そこに体裁が入り、 不良ゼロ・クレームゼロ など「絵に描いた餅」 になります。 すると、 結果の発表にも体裁が入らざるを得ません。 要するに、 従来のQCストーリーはウソ話を作るための指導書のようなものです。
この章では目標の意味と目標の設定手順を明らかにし、 従来の諸々の学説の批判します。 また、 目標管理による成果主義の破綻 にも触れます。
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| 2-0 はじめに − 主観説の目標概念 |
右に、 「目標管理は! 9セルで」というサイトが唱えている記事を紹介します。 ここでは、 目標とは 「あるべき状態」であり、 それを個々のテーマに即して定義し、 そこにたどり着く道順をいくつか想定して、 優先順位を決める〜と説いていますが、 それでは次の問いに答えて下さい。
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次に客観説の立場から目標を説明すると、 「何が欲しいか」 と 「何の実現を狙うか」 とは別問題です。 「こうあって欲しい、 あらねばならない」 という自分や他人の願望・ニーズ、 上層部からのノルマなどがあって私達は改善活動を始めるから、 これらは極めて重要です。 トーマス・エジソンも 「必要は発明の母」 と述べています。 しかし、願望・ニーズ・ノルマを直ちに 目標 と言い換えてはならない (言い換え目標の禁止)。
願望等に対するアプローチの仕方に2つある。 |
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つまり目標は失敗によるリスク(損失) を低減するために設定するもので、 その関連で3つの区分があります。 ここまで来ると、 単なる願望と目標とは似て非なるものだということが分かります。 目標は、いわば 「狙ったもの」 です。 しかし狙い方に2つあり、 猟銃という手段を持つ人が猟銃で狙うもの=目標、 手段を持たない人が精神的に狙うもの=願望、という違いがある。
願望を目標と言い換える 「言い換え目標」 では、 設定のメリットは何もありません。 他方、 願望と目標を分離すれば様々なメリットが出ます(参照)が、 主な2つを挙げると〜、 |
![]() 大掛かりな活動の場合、 「願望を満たすだけの目標が立たない」 ときは、 企業の力 (経営資源) が弱いことを意味し、 体質強化を進める必要がある。 単に願望だけで改善活動を進めると、 失敗した場合に取り返しがつかない。 |
上の絵で、 鴨をみて 「あれを目標にしよう。」 と目標設定する主観説の立場の人に、「猟銃で狙いをつけるものを何と呼ぶか?」 と質問してみると、 「予測効果と呼ぶ」 とのことである。 願望のことを目標と呼んでしまっているから、 本当の目標を呼ぶ名称をどうするかという問題だ。 なるほど、「予測効果」 と呼べば済むように見えるかもしれない。 |
だが、 手段を検討して A・B・C・D などの手段が着想されたとすると、A手段の予測効果、 B手段の予測効果と言う具合に各手段ごとに予測効果がある。 それらいろいろな予測効果のうち、 Cの予測効果を狙うことに決めたとすると、 この「狙うことに決めた予測効果を何と呼ぶか?」 と尋ねているから、「予測効果と呼ぶ」 では答えになっていないことが分かる。 |
このような考え方 (客観説) の有益性が顕著に現れた事例として、 最近の 夕張市の破綻 があります。 夕張市は全国有数の産炭地だったが90年に最後の炭鉱が閉山し、 ピーク時の60年に約11万7000人だった人口は1万3000人に落ち込んだ。 健全な施政者なら、 時代の流れに会わせて市の財政を縮小して、 軟着陸したであろう。 だが残念ながら経営能力のない世間知らずの発案時の市長や議会が、 石橋を叩かずにカンと度胸とハッタリで娯楽施設に莫大な投資を展開して失敗し、 借金まみれの財政になった。 思うように行かないことが早期に判明したにもかかわらず、 粉飾決算で黒字を装って漫然と過ごし、 傷口を拡大した。 |
当座の資金不足を補うために金融機関からの融資を受け、 返済のために別の金融機関から借り入れるという 「自転車操業」 を繰り返し、 今年、 2006年3月末の負債残高は約632億円に膨らんだ。 これは人口1人あたり500万円という途方もない借金状況だ。 そして、 このような地方公共団体が他にもまだまだ存在するらしい。 こうなってしまうのは、 @目標の設定をしない場合、 A設定が不可欠の場合、 Bデータ不足で設定できない高リスク事業〜という区別がないからである。 何しろ、 ろくにデータもないのに 「儲かることは確実」 と信じ込むのだから、 高リスク事業という認識はなく、「様子を見ながら少しずつ慎重に進めよう」 とか 「失敗の兆しが出たら即座に撤退する」 というような姿勢をとれなかった。 |
もう1つ、 農水省の怠慢極まりない事例として有名な 永源寺第2ダム を挙げよう。 農水省は1994年に滋賀県の 「永源寺第2ダム」 の建設計画を決定した。 この種の計画は、 「投資対効果が1以上」 でなければならないとの法規制がある。 また、 ボーリング、 実地調査、 航空測量など不可欠の調査も義務付けられている。 農水省の計画によれば、 目標=投資額476億円/効果は497億円、 と設定された。 ところが農水省は、 ボーリング、 実地調査、 航空測量というような不可欠の調査を全く行わずに計画を立て、 従って 実は目標は立っていなかった。 |
計画に着手した後、 今度は 「実際に進めてみたら、 いろいろ計画と違う点が出てきて、 出費は1100億円かかる」 と言い出した。 差止めを求める住民と強行する農水省との訴訟で11年費やして、 2005年12月に大阪高裁は住民側の主張を認めて工事差し止めを命じた。 その間に生じた損害は109億円。 しかも計画を決定した責任者は現在天下りして、 「組織として行ったから責任はない」 と平然としている。 給料 (しかも相当の高給) を貰いながらこういうことをして全く責任を負わない。 しかも驚きはこれに止まらない。 例の狂牛病で怠慢の限りを尽くしたのは農水省である。 その農水省が、 不二家の製造再開の件で工場を立入検査して確認するというのだ。 |
上のような、 どうしようもない行政の実態がある一方で、 学界はどうだろうか。 次に示すのは、 NTT データのデジタルガバメントというサイトに掲載された専修大学経営学部教授:櫻井通晴氏の談話である。 |
ノルマ=目標、 が前提で 「目標とは何か」 という基本から出発していないため、 PDCA に目標を設定するという第2の間違いに発展している。 このように学界もまた、 際限のない間違いを繰り返している。 |
〔行政で定量的な目標設定・業績評価が注目されてきた背景〕 昨今は企業だけでなく、 行政においても定量的な目標設定や業績評価の導入が増えていますが、 その理由は3つあると考えています。
〔客観説からの注釈〕
〔客観説からの注釈〕
〔客観説からの注釈〕 |
| 2-1 改善目標は2種類 |
一般に目標というと、 これから挑戦し、 又は実現しようとするものを指すことが多いが、 「既に実現している目標」 もある。 前者を 改善目標 といい、 後者を 管理目標 という。 管理目標は、 既に実現し維持しているものである。 例えば、 平均不良率や製造原価、 それに各品質項目の管理水準などは、 今後も維持して行かなくてはならないから重要な指標である。 従って、 ISO 9001 でも各職場における管理目標 (品質目標) の設定を義務付けている。 ところで、 管理目標を設定するのは何のためか? それはアクションをとるのに必要だからだ。 異常が起きたかどうか判断するのに、 「いくらでなければならない」 という基準が必要なのである。 |
しかし、 この第2章で議論するのは前者の改善目標の方である。 その改善目標にも、 主観的目標 と 客観的目標 とがあって、 前者はカンで設定する目標、 後者はデータに基づいて設定する目標である。 以下、 この主観・客観の目標について是非を考えて行くものとする。 その前に 「単なる見通し、 予感」 を目標と誤って呼ぶ場合があるので触れておく。 例えば、 トリノ・オリンピックにメダル数5個の目標で臨んだ〜という場合である。 メダル5個を獲得する手段があるワケでもないし、 取れるように努力できるワケでもなく、 このようなものを目標として設定しても役に立たないから、 管理技術上の目標ではない。 単に、 楽しみのための日常用語の目標である。 |
目標概念を概観すると、 大きく分けて3つのグループに分けることが出来る。
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"Define what the results are." というドラッカー (P.F.Drucker) の目標概念を無批判に受け入れた主観説の主張はいろいろな形で主張されるが、 いずれも否定すべきであることは以下の検討で明白になる。 以上の3つの態様のうち、 1は問題外であるが、 2を 「挑戦対象としての目標」(挑戦目標・努力目標)、 3を 「実現対象としての目標」 と呼ぶものとする。 しかし、 そのことは、 挑戦目標・努力目標を目標の一種として承認する意図ではない。 |
2−1(1) 挑戦対象としての目標 私達は、 仕事について様々な願望・ニーズを持っている。 工程不良を減らしたい、 顧客からのクレームを減らしたい、 原価を30%ぐらい下げたい等々、 様々なニーズがある。 そしてこのニーズに挑戦しようと思うとき、 又はノルマとして他人に押し付けようとするときに、 目標と呼ぶのが従来の通例であった。 不良率が5%の工程があるとき、 改善目標をいくらに設定するか、 いくつかの学説がある。
主観的目標は、 いわば、 勘で創作した挑戦対象であり、 これに相当する英語は object である。 |
2−1(2) 実現対象としての目標 何かよい対策はないか、 A案はどうか、 B案はどうかと、 全ての手段を検討する。 換言すれば、 全レベルに挑戦し、 いくつかの手段を見つけて最善を選ぶ。
手段を網羅的に列挙した上で必要な出費、 生じる効果、 騒音などの副作用をデータ化し、 トレードオフして最善を選定して目標にする。 その後はこの目標を実現するように進める。 これは目標の決め方が客観的だから、 客観説 と呼ぶことにする。 客観説の目標は、 実現プロセスが明示され、 結果をデーターで選定した 実現対象 であり、 これに相当する英語は objective だ。 データは、 実験・業者の保証・文献などから収集するのが普通である。 |
以下、 改善目標について考える上で絶対に譲れないポイントを決めよう。
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これが譲ることのできない基準なら、 次の3つの譲れない結論が導かれる。
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| 立場 | 第1段階 | 第2段階 | 第3段階 | 第4段階 |
|---|---|---|---|---|
| 主観説 | 目標の設定 (実現性不明、最善性不明) | 目標実現策の探索 | 目標実現策の実行 (最善策ではない) | 結果の確認と反省 |
| 客観説 | 願望・ニーズ・ノルマの確認 (実現性不明、最善性不明) | 定性的に手段を列挙 入力・出力の定量化 最善策の選定→目標の設定 (実現可能で最善のもの) | 目標実現策の実行 (最善策である) |
上の表で特に注目するところは、 第3段階である。 比較すると、 主観説は最善策ではなく目標を達成する手段を実行するが、 客観説は最善策を実行するという点である。 ここで、分りやすい具体例を示そう。 いま、 大事な商談のためにアポイントをとって顧客を訪問するものとする。 遅刻は許されないから、 当然、 列車の乗換え時刻を検討し、 料金、 所要時間、 到着時刻、 乗換え回数などを比較考量して最善を選定する。 これは 「実現が可能であること(蓋然性)、 及び、最善性」 の保証を得るために手段と結果を選定したものということができる。 |
そして、 これら乗車時刻、 到着時刻、 料金、 所要時間、 到着時刻、 乗換え回数などが目標である。 従って、 この商談が大変に重要なら蓋然性を強めるために多少の事故があっても遅刻しないような余裕を持ったスケジュールにするであろうし、 さらにアラーム時計を設定する等の予防処置を講ずるはずである (Feed-forward)。 反面、 帰りは厳しい時間管理を要しないから列車の乗換え時刻を検討することもないのが普通で、 遅くなったら遅くなったでそれなりに対処すればいい (Feedback)。 この例で、 往路は (やり直しがきかないから) 目標を設定し、 復路は (結果を見て対処すれば済むから) 目標を設定しないことが分かる。 |
2−1(3) 従来の学説の考え方 従来の考え方 (主観説)をもう少し詳しく説明しよう。
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質問 「不良ゼロを実現するのに必要な投資が10億円かかると分かった場合でも、 達成するつもりですか? また、赤字になっても達成する積もりですか?」
K君 「・・・・・・・・。」 K君は、 考え込んだまま返答ができない。 彼は不良ゼロへの挑戦は決意したが、 達成は決意していないことに初めて気づいて戸惑っている。 挑戦対象 (挑戦はするが達成するとは限らない) と 達成対象 (達成するもの) を分けて考えていなかった。 主観説は挑戦対象として目標を設定し、 活動が終わる頃になると達成対象であるかのように 達成率 の計算の基礎にする。 これはつまり挑戦対象と達成対象の区別を認識せずに、 換言すれば、 目標の意味を理解しないままに目標を設定し利用しているのだ。 |
| 2-2 ニーズと目標を区別する利益 |
活動の最初の段階でニーズを明確にして、 これを目標の設定と考えてしまうのが主観説であるが、 ニーズと目標を区別することは実に重大である。 なぜなら、 もしニーズを目標と呼んでしまうと、 本当の目標がなおざりに放置されるからである。 目標の設定手順、 設定の目的、 目標の利用などについて研究しないことになる。 目標は、「当てになるもの」 でなければならない。 この点が最も重要である。 例えば、 社長が 「本年度の原価低減の目標は30%」 と発表したとき、 それが 「絵にかいた餅」 でしかない会社と実現のメドが立っている会社とでは偉い差である。 だから、 この区別が重要になる。 カルロス・ゴーンは後者の場合であり、 メドが立たない状況で目標を設定したのではない。 |
ある人は 「当てになる目標など、 とんでもない。 不可能な目標に挑戦せよ」 と勇ましく反論する。 飛躍的な 改革 (Innovation) をするには可能性に縛られてはダメだというのだ。 なるほど改革は、 一見不可能なことへの挑戦から始まる。 この点、 客観説とて同じである。 だが挑戦している間は、 技術的・経済的・社会的な可能性がないから、 目標は立たない。 可能性が煮つまったときに、 「よし、これで行こう」 と目標を設定するのである。 非常に多い事例は、「本年度の売上げ目標は、 前年度比25%アップだ」 とし、 その実、 単なる願望に過ぎない場合である。 もし、このようなものが目標であり、 それが努力によって達成できるものであるなら、 世に赤字とか倒産の話はあり得ないことになる。 |
売上げ増加が目標と言えるためには、
「目標が何%でも、やることは同じ」という事例は非常に多い。 例えば、 目標だけ設定して、 あとは 「頑張る」 だけと言う場合である。 |
手段と目標の間に何の因果関係もなく、 このような理解では、 いずれ売上げのダウンは免れない。 願望と目標を取り違えることの怖さは、ここにある。 もともと一般に説かれている (通説の) 目標概念は、 経営学者の P.F.Drucker の目標管理 (Management of Objetive) に始まる。 このドラッカー理論を安易に受け入れ、 今日までの誤った目標概念を引きずって来た経緯がある。 ドラッカーのいう目標 (願望) を並べるのは容易だが、 客観説の目標の設定は大変である。 しかし、 その大変なことをしなければ結果も知れている。 |
| 2-3 目標を設定する意義 |
目標を設定して、 何の役に立つだろうか。 2−3(1) 主観説の3つの見解 これは要するにニーズを明確にして挑戦すると言えば済むことであって、 「目標の設定」 と表現する必要性がない。
改善が十分か、 まだ不足かを判断する基準にするという。 しかし、これは明らかに矛盾である。 なぜなら、 主観説は、 目標を達成の対象として設定していないからである。 | 不良半減の目標は 「不良半減の手段を考えよ」 との指示であって、 目標がなければ対策を考える指針がなくて不便だ、 という。 しかし、 そのような指針は自由で多彩な発想を阻害する。 自由な発想で考案した中から最善を選ぶのがよい。 実務経験のない人は、 「不良30%減」 の目標を掲げれば技術陣は不良30%減の手段を考えると思い込む。 だが、 そうではない。 技術陣は、 不良削減の手段をいろいろ検討し、 最善の手段を検討しなければならないする。 |
最善を検討するなら、 換言すれば、 主観的目標が 「不良30%減」 であれ 「不良50%減」 であれ、 関係ないということである。 2−3(2) 客観説の目標データ 客観説の目標データは、 当てになる数値である故に用途が広い。
中でも、ニーズと目標の差=経営者の反省 という原理は、 「これがなければ、 品質管理にあらず」 と言える程に重大なのに、 主観説の目標の下では経営者の反省の機会が制度的に喪失している。 |
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2−3(3) 従来の主観的目標の無益性 【その1】 活動の手順を追ってみよう。 ただし、 出費の大きい大改善の場合である。
最初に立てた目標Aは、 ニーズを明確にするという機能があるだけだ。 つまり、 願望・ノルマ・ニーズが分かっているなら、 設定の必要のないものである。 |
むしろ、 極限に挑戦し、 できるだけ多彩な手段を発想すべきで、 何も目標Aに挑戦することに限定する必要もない。 【その2】 目標管理による 成果主義 の人事管理を多くの企業が採用し、 軒並みトラブルに見舞われた( アサヒコム 、 Yahoo! Japan News )。 これは、 個人ごとに年度目標を設定させ、 その達成率によって人事考課を行おうとする制度で、 富士通(株)などが真っ先に導入し、 多くの企業が追従した制度である。 しかし、 難しい目標を設定して達成しないと給与が下がるから、 社員は小さな目標しか設定しなくなり挑戦心を失う。 挑戦心の高揚という触れ込みが、 真実は全く逆なのである。 日常管理 (ルーチンワーク) の目標が定まらず、 勘で適当に設定する。 すり合わせをしようとしても社員が納得せず、 管理職も大変に苦労し、 全員が不満を覚える。 |
なるほど、 功績の大きい者に多く報いるのは競争社会の基本であって、 成果主義は結構である。 だが、 「目標管理による」 という条件がつくから失敗する。 指導するコンサルタントも指導される企業も、 目標の意味が分からずに導入するから成功はおぼつかないのだ。 主観説の目標は挑戦対象であって実現対象を意味せず だから、 この意味の目標を達成率の基礎にすると最初から理論が破綻する。 根本的な誤りは、 「挑戦の約束」 として目標を設定しながら、 秘密裏に 「実現の約束」 の意味にすりかえる点にある。 このトリックを中心に据えた制度が成功することは最初から望めない。 「結果はともかく挑戦が立派だから高く評価する」 という挑戦心高揚制度と、 「結果が良いから高く評価する」 という成果主義とは、 全く別個の制度である。 つまり、 挑戦の評価と成果の評価は and ではなく or の関係にすべきなのだ。 |
それらの特徴を整理すると、〜 1.挑戦努力を評価する制度
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2.実現努力を評価する制度
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3.総合評価主義への移行 「挑戦のアイデアと努力」、 それに「実現努力と実績」 などを評価すべきことは、 競争社会を前提とする限り避けられない要素である。 しかし、 年功序列もまた捨て難い要素である。 なぜなら、 人間は年齢を重ねるほどに報酬を多く必要とし、 同じ素質の下では経験を重ねるほど能力が高いのが普通だからである。 以上の「挑戦努力」、 「実現努力」 の他に 「年功序列」 の評価を含め、 3つに分けて総合評価することが重要なのである。 4.成果主義の誤った是正策 成果主義の是正として、 「個人ごとの目標管理を廃止してチームの目標に切り替える」 という動きがある。 だが上に述べたメカニズムは個人かチームかは無関係であって、 いずれは破綻することは目に見えている。 |
以上のことは、 富士通(株)が2007年3月期決算で2000億円の赤字を計上 したことと無関係ではない。 目標管理を導入したことの失敗の影響は、 今日までぬぐいきれないのである。 【その3】 多くの経営者は 「某会社で不良ゼロの目標を設定したら、 本当にゼロになったそうだ。」 というようなクチコミ話に弱く、 業界団体の会合などで耳にすると容易に信じ込む。 だが、
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従って、 納得のしようも信じようもないことだ。 似たような話は宗教に多い。 「どこそこの婆さんは病気で医者に見離されていたが、 入信したら直ちに治った。」 と、 もっともらしい話が出る。 なぜ入信で病気が治るのか、 メカニズム (プロセス) もデータも不明である。 「不良ゼロの目標を設定すればゼロになる」 のも 「入信で病気が治る」 のも本質は同じであって、 プロセス・アプローチやデータ・アプローチを欠く非科学的なアプローチである。 われわれは信教の自由が保証されており、 信じるのは自由だ。 しかし、 それが非科学的なアプローチであって品質管理とは全く無縁であることも確かである。 |
| 2-4 データ・アプローチ(Data Approach) |
2−4(1) 総論賛成、 各論反対 データに基づく判断を データ・アプローチ と呼ぶ。 事実に基づく管理 (Fact control) も同様の概念である。 水掛け論や山勘をやめて 「データでものを言え」 ということだ。 データとは 「判断の根拠となる客観的事実」 のことで、 実績、実験結果、目撃情報などである。 個人的な勘や経験だけの判断は、 客観的な証拠・裏付けがないから、 偶然に当たることはあるが確かではない。 これは科学的アプローチ一般に共通するもので、 品質管理(TQM) も 科学的アプローチである以上はデータアプローチを採用せねばならない。 |
〜と、 ここまでは誰も反対しない。 だが各論になると状況が変る。 大方の指導講師は 「データで判断せよ」 と強調しつつ、 舌も乾かぬうちに、〜
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2−4(2) 従来、目標の根拠を問題にするときは、 もっぱら必要性の根拠だけであった。 実際には、 必要性の根拠すらも山勘で済ませることが多く、 オール山勘が実情である。 在庫の削減、 不良の削減、 原価の低減などは普遍的な要求だから、 必要性は勘で判断しても大きな支障はない。 |
ただ、 新製品開発などの市場対応の問題になると、 時代の要請と自社のコア・ビジネス (得意な分野、 やり方) との関係があるため相応のデータが必要となる。 客観説は、 実現性と最善性についてデータ的根拠を求める。 2−4(3) 主観説と客観説の考え方の違いを 図表2a にまとめた。 以上の説明をもとに、 じっくり比較しよう。 |
| 目標の要素 | 主観説(従来) | 客観説 |
|---|---|---|
| 目標値を望む根拠 | 経営環境データ 反省のデータ |
経営環境データ 反省のデータ |
| 実現可能性の根拠 | 勘と経験 | 実験・見学・調査等のデータ |
| 損得勘定 | 勘と経験(又は、考慮外) | 投資対効果等のデータ |
| 設定する目的 | 挑戦心を高める | 見返りの保証、最善性の確保 |
| 目標の内容 | 挑戦の対象 | 達成の対象 |
| 目標の範囲 | 目的特性、効果、期限の3つ | インプットとアウトプットの全て(総合性) |
| 目標設定の時期 | 企画段階 | 手段の選定時 |
| 目標の要否 | 挑戦対象として常に設定 | 小改善は見返り不要だから設定せず |
| 2-5 トレードオフ(Trade-off) |
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一般に高品質のものは値段が高く、 安いものは品質が落ちる。 だから普通は 「まぁまぁ」 のものを 「まぁまぁ」 の値段で買う。 このように、 同時に満足できない諸条件の間の取捨選択によってバランスを取ることを トレードオフ という。
トレードオフが必要なのは、 大金を要する改善 (大改善) の場合である。 トレードオフをする目的は最善を求めるためだが、 それには対策を豊富に立案する必要がある。 まず定性的・網羅的に立案して、 次にそれらを評価し数値化した上でトレードオフに持ち込むという手順を踏む。 |
この手順をもっと詳しく説明しよう。
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| 上位方針が誤っている事例 |
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ある企業で、 製品の自動組立機のタクトを8秒にして新設する会社方針が立てられた。 これを実現することが社長の希望であった。 当然、 技術陣はタクト8秒を目標にすると思われたが、 図表2b のデータを提出してきた。 これによれば、 タクト=9秒を目標にするのが正しい。 |
8秒にすると、 振動・精度・寿命などをクリアすることが非常に困難になるとのことで、 かようなデータが提出されるとグウの音も出ない。
上位方針への整合が目標設定の基準ではないのであって、 あくまでもデータに準拠しなければならない。 |
| 自動機 |
価格 |
製品原価低減 |
評価順位 |
|---|---|---|---|
| 12 | 350 | 500 | 4 |
| 10 | 400 | 650 | 2 |
| 9,0 | 500 | 800 | 1 |
| 8,5 | 2200 | 600 | 3 |
| 8,0 | 15000 | 400 | 5 |
| 2-6 総合性(Totality) |
2-6-1 目標の3要素 主観説は、 目標の3要素 を強調する。 「何を、いくら、いつまで」 の3つを明らかにせよ、 というのである。 不良低減のテーマでは、 何の不良を、いつまでに、いくらにするか明示せよというが、 これは納得できるか? 費用がいくらかかるか? ランニングコストはどうか? 労働安全性は? 騒音は? そういうものは考えなくてよい、 というのだから納得できるワケはない。 費用・期間・労力・安全・省資源・環境側面なども 「同時に実現する目標」 でなければならないのであって、 総合品質管理だから、 「品質だけ」 というワケには行かないはずだ。 不良を減らすといっても、 操業コストを赤字にしたり、 騒音がひどくなったというのは防がねばならない。 つまり、 事前に全ての利害についてトレードオフが必要で、 これが 目標の総合性 である。 |
効果の確認における達成率も、 テーマ特性だけでなく、 出費・期間・操業コスト・消費電力・騒音・安全性・保全性など、 各目標項目ごとに計算しなければならない。 もっとも、 騒音が全く出ないと分かっている場合に、 騒音の目標など立てる必要はない。 実施しようとする方策の性質上、 騒音が出るような場合に、 どこまで抑えるかの問題である。 形式的には、 目標は、「何を、いくら、いつまで」 の3つを明らかにすることは確かである。 しかし、主観説は方策が分からない段階で目標を考えるから、 方策の性質が分からない。 騒音が出る方策なのか電気を消費する方策なのか危険な装置なのか全く分からないから、 1つの特性のみ取り上げて 「不良をいくらにする」 という設定しか出来ないのだ。 目標の3要素というような誤った理解から早く脱却しなければならない。 |
主観説が言っているのは、 原価低減のテーマなら原価だけ、 不良低減率のテーマなら不良率だけであり、 総合性のことは念頭にない。 そういうワケで、 主観説が唱える 「目標の3要素」 には賛成することができない。 以上で、 設定の手順 が 図表2c の流れになることが分かる。 「そんなに長い手順を踏んで目標を立てる人などいないよ!」 と言う人のために、 主婦の買い物を例にとった。 主婦たちは、 これを無意識に忠実に行っている。 これだけいろんなことがあるから、 テーマを選んですぐに目標が立つワケがない。 願望と目標の区別がない人は、 大事なことを手抜きしていることになる。 |
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2-6-2 マーケット・インと QDC 一体の原則 品質(Quality)、納期(Delivery)、コスト(Cost)を一体に考えよ、 との教訓である。 正確には、 最初に安全(Safety)と環境(Environment) を考え、 次にQ・D・Cを考える。 QDC ではなく「QCD の原則」 と呼ぶ研究者が多い。 理由を聞くと、 『お客様には品質の次は価格ですから、 価格を重視しなくては』 とのこと。 つまり、 お客様の関心は、 第1に品質、 第2に価格、 第3に納期というのだ。 マーケット・インとは、 生産者の都合から生まれる製品・サービス(プロダクト・アウト)ではなく、 購入者が要求する製品・サービスを供給せよ、 との考え方である。 これは、 当然に正しい。 だが、QCD の順序は誤りで、 QDC が正しい。 |
お客様からみた価格は Price であって Cost ではない。 だから、 それをいうなら QPDとなるが、 管理の対象は原価Cであって価格Pではない。 価格は需要と供給の市場原理で決まるのであって品質管理の対象でないし、 一企業が管理できる事項でもない。 この原則はお客様の要求を示したものではなく、 生産者の管理事項を示すものである。 『安全と環境は最優先であるとして、 その次は品質・納期の順、 そして生産者の都合である原価は最後に考えよ。』 これが、 「QDC 一体の原則」である。 しかし、 原価は高くても仕方がないとの意味ではない。 価格破壊の時代に、 原価が高くては競争できない。 安全・環境・品質・納期を満たした上で飽くなき原価低減を図らねばならないのだ。 |
QDC一体管理の原則は、 同時に、 代行業務の禁止 の原則でもある。 もっとも多く見られる代行業務は、 品質問題は品質保証部の仕事だ、 というもの。 顧客企業からQC工程表の提出を求められると、 その作成は品質保証部の担当となる企業が結構多い。 工程設計を担当した人達がQC工程表を作成せずに、 代わって品質保証部が体裁上のQC工程表を作成するワケだから、 工程管理などやりようもない。 |
次に多いのは、 営業部が技術部に仕事を押し付けることである。 「製品を設計したのは技術部の設計課だ。 だから、 顧客に製品の品質を説明するのは設計課の仕事だ。」 というワケである。 だが営業部は、 顧客に製品の品質を説明して販売を進めるのであって、 品質・納期、原価などの情報を使って販売を担当するのでなければならない。 |
(1) 顧客の要請 顧客Aが、 1年以内に製品価格を30%下げるようにB社に要請した場合、 取引の継続を切望するB社にとって 「30%減」 が目標になるのだろうか。 結論を言うと、 顧客の要請が直ちに目標になるのではない。 要請をニーズとして引き継ぎ、 手段を発見して実現のメドが立ったときに目標になり、 その実現に向けて走り出す。 顧客の要請が30%減であっても 、B社はその上を行く手段を含めて両社にとって投資対効果のよい手段を探索するために網羅的に手段を検討しなければならない。 「顧客が30%減と言っているから、 30%減の手段を探す」 のではない。 |
検討の結果、 最善の手段として20%減の手段しか見つからなかった場合、 A社が認めれば20%減が目標になり、 A社が断れば目標は不成立となる。 こういうと、 「いや、 不成立では倒産するから困る。」 と反論する人がいる。 企業の実力の問題と目標理論とを取り違えた結果である。
(2) 内部の要請 決して、「上位方針が20%減だから、 下部組織の目標も20%減だ」 ということではない。 このことは、 第8章の方針管理でも議論するので参照して欲しい。 |
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2-8-1 PDCA と CAPD
最初に、 PDCA について、 若干の説明をしよう。 一般に、
第1問: P から始まって DCA と進める場合が演繹的アプローチ、 C から始まって APD と進めるのが帰納的アプローチである。 それで、 PDCA と CAPD のどちらが正しいか? |
こういう訊き方は引っ掛け問題でして、 実は、 「どちらが正しいか」 ではなく 「どのような場合にどちらを使うか」 の問題である。 計画を頭で考えて作るときは P から始まるし、 データに基づいて作るときはデータの収集 (チェック C) から始まる。 データが得られない (業務開始前) なら前者しかないし、 データが得られる (業務開始後) なら後者に決まっている。 第2問: 管理の意味 に関し、 「管理とは管理サイクルを回すことであって、 回すことが重要だ。」 とする考え方は正しいか? 例えば、 玉川大学の大藤正氏 のホームページでは、 次のように述べています。 |
これはわが目を疑うばかりの考え方で、 2つの誤りを含んでいます。 第1に、 管理 とは、 要因を支配することによって結果を支配すること (放置しないこと) と考えるべきです。 小改善の場合にPDCAを回すことは管理の一手段ではあるが、 回すこと自体が管理なのではない。 |
例えば、 良好な状態であれば管理サイクルは回さないで監視するだけだが、 それも管理の一手段である。 計画 (プロセス) や結果に欠陥があるから回すのであって、 下手な管理ほど頻繁に管理サイクルを回す。 第2に、 大金を投ずるような、 失敗が許されない改善活動 (大改善) は 「一発勝負」 だから、 P・D・C・Aのサイクルを回すことによって管理しようとはしない。 つまり、 1億円かけて改善を実施し、 その結果をチェックしてプランを立てなおす〜というようなサイクルは考えません。 この一発勝負の改善活動 (大改善) も、 管理 (結果を支配すること) の一手段である。 「こういうものは管理活動ではない」 として除外されると、 品質管理は非常に困ったことになる。 |
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同ホームページは、 さらに続けて次のように述べています。
この説明では、 さっぱり分かりません。 学問をする者の心構えとしては、 もっと突っ込んだ検討が求められます。
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(1)「旅行」 といっても、 大して費用もかけずに毎回同じような旅行をする場合なら、 そのように考えてPDCAを適用することができます。 失敗しても大した損害でないから、 仮説に基づいて計画(P)し実行(D)することが許され、 仮説がうまくないと分かった(C)ときに事実に基づいて修正(A)すれば済むのです。 (2)しかし、 1回目はアラスカに旅行し、 2回目はアフリカの赤道直下に旅行するような場合には、 「共通の事実」 に乏しいから、 事実に基づくPDCAという考え方に適しません。 (3)のみならず、 失敗の許されない一発勝負の場合には、 絶対にPDCAの管理サイクルに依存してはならないことが分かります。 月旅行を計画(P)し実行(D)し、 全員死亡の事実を確認(C)し、 その事実に基づいて次の宇宙旅行の計画をする時に是正処置(A)をする〜という管理は許されない。 |
この一発勝負の場合、 どうするのでしょうか? 計画の狂いが出ては困る (許されない) 場合は仮説でなく事実に基づいて計画を立てます。 その場合は、「計画の是正」(A) は許されません。 これが一発勝負です。 ところで、 目標というのは、 この計画の一部です。 計画の中心は、 「何をして、 どういう結果にするか」 ということです (誰が 、いつ、 いかに、 もありますが)。 一発勝負では、 「悪かったから是正する」 というワケに行かず、 事実 (データ) に基づいて目標を設定することになり、 単なる願望・ノルマ・ニーズとは区別せねばなりません。 |
例えば、 大手術の場合は後で是正は出来ないから、 何をして結果がどうなるか、 相当にはっきりしたデータに基づいて計画しなければなりません。 他方、 計画の是正が許されるPDCA管理では、 願望・ノルマ・ニーズが明確であれば十分です。 例えば、 医師が 「この薬を飲んで、 様子を見ましょう。」 というのがそれで、 結果がまずければ計画を是正することを考えています。 「どういう結果になるか?」 と実験をかねており、 「必ずこういう結果にする」 という目標は設定しません。 |
さて目標は、 出費がかさむ(大改善)の場合に、 見返りの保証と最善性の保証のために設定する。
従って、 出費が少なくて何の見返りも求めない小改善(小集団活動など) では目標を設定しない。 大改善は膨大な出費を伴うから、 やってみて結果を見てまた改めよう〜という管理サイクルになじみにくい。 つまりは下手な管理に馴染まない。 「二度とチャンスはないから、この際に最善を選ぼう」 という一発勝負の傾向は出費額 (正確には、償却期間) に比例する。 小改善は以上と反対で、 ちょっと試して結果を見てまた手を打ち、 頻繁に管理サイクルを回す傾向になる。 |
つまりは下手な管理でもよい、 ということだ。 いくらでもやり直しができるから 「やる以上は最善を」 とは考えず、 良い案が出たらそのときにやればよいと考えて十分である。 見返りの保証も最善の保証も要らないから、 小改善に目標を設定する必要性が乏しいのである。 以上の 「大改善・小改善」 の呼び方は本質的な名称ではない。 実施の際の出費は少ないが、 失敗して原状復帰するのに費用がかかる場合や生命・身体にかかわるなど結果が重大な場合も大改善である。 気軽にやってみて、 駄目なら考えなおそうというわけには行かない。 「大改善・小改善」 の呼び方は、 他の意味に使われる場合もあり、 それぞれの理論で定義されたところに従わねばならない。 |
2-8-2 フィード・バックとフィード・フォワード 事後に結果を調べて、 問題があればその情報を前工程に戻して是正することを フィード・バック (Feedback) という。 管理サイクルは、 いわば、 このフィード・バックのステップを述べたものである。 これに対して、 失敗しないように事前に厳しく条件を管理して問題の発生を防ぐことを フィード・フォワード (Feedforward) という。 |
そして大改善は、 事後に結果を調べて問題があればその情報を前工程に戻して是正するという考え方をとることが難しいため、 フィード・フォワードの傾向になる。 すなわち、 やってしまってから後で是正するのは不可能だから、 事前に厳しい管理をすることになる。 大改善に結果と最善性の保証 (すなわち、目標の設定) が求められるのはそのためである。 このようなことを深刻に感じるのは、 役人による公金の無駄遣いである。 箱もの、 道路、 年金の問題で、 いか程の大金をフィード・フォワードなしに浪費したことか。 |
| 2-9 主な反論 |
以上で目標の説明は終わりである。 だが、 私の考え方への批判もあり、 それに耐えなければ本物ではない。 |
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| 2-10 主な学説 |
活動のフェーズ(段階)を主観説と客観説で比較すると、 表のようになる。 主観説にもいろいろあるが、 以下、 目標に関する主な学説を紹介しよう。 主観説の共通の特徴は、 願望・要求を目標に設定し、 それを実現するための検討が始まると考える点にある。 これに対して客観説は、 最善を実現するための検討が始まると考え、 最善が見つかるまで目標は設定できないと考える。 解説は客観説の立場から行ったものであり、 研究者によって見解が分かれるところである。 |
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1. あるべき姿説・必要説 目標は必ずしも理想と同じではないが、 諸般の事情を考慮して 「あるべき姿」 を目標にする。 実現可能性よりは、 必要性を重視して設定する。(細谷克也氏、その他多数)
<解説> 無益なだけならまだしも、 実現性を軽視した当てにならない 絵に描いた餅 の目標が氾濫し、 体裁を基準に行動する社風に陥るなど、 主観説の中でも最も弊害の大きい説である。 |
投資対効果を無視すれば、 不良ゼロ、 クレームゼロ、 災害ゼロ、 原価ゼロ、 資源消費ゼロ〜などが 「あるべき姿」 であろう。 しかし、 実務ではコストを無視できない。 とすればコスト等の入力を考慮し、 労働安全や環境保護など、 全てを考慮した上での最善を狙って行くしかない。 そして、 この最善をもって 「あるべき姿」 と考えるのが客観説である。 従って客観説も一種の 「あるべき姿説」 なのであるが、 主観説はほとんど何も検討せずにカンで 「あるべき姿」 を判断するが、 客観説はデータに基づいて見出す点が相違している。 データで目標を設定する客観説が品質管理の正道であるのに対し、 「あるべき姿説」 はカンに頼る古典的品質管理ということができる。 |
この説が 「実現可能性よりは、 必要性を重視」 と唱える点は、 その特徴をよく表している。 すなわち、 必要性を重視する考え方は 「目標=ニーズ」 という具合に、 ニーズと目標を混同した結果である。 |
この考え方は、 「必要なもの、 欲しいものが目標」 であり、 「そうやって目標を設定すれば、何事も達成できる」 という安易な思想を生み、 さらに 「目標を設定した以上は達成しなければ恥ずかしい、 体裁が保てない」 という体裁主義に進展する契機となったのである。
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あるホームページから 統合型QCストーリー STEPS という手順を拝見することが出来る。 そこにも、 テーマを決めた直後に 「あるべき姿や目標」 を明確にすることが求められているが、 「あるべき」 とは、 「あって欲しい」 という願望なのか、 データに基づく最善を意味するのか、 定義が曖昧である。 こういう定義の曖昧な用語を振り回すと、 実務をする者は大変に迷惑を蒙るのであって、 これも古典理論の特徴の1つである。 もし 「あって欲しい」 を意味するなら 「あるべき」 という言葉と一致しない (前者は願望・ニーズの存在命題、 後者は当為命題 )。 |
諸々のニーズを考慮した最善を意味するなら、 テーマを決めた直後にどうやってデータを把握するのか (神様でなければ) 分からない。 従ってカンで決めるしかないが、 それが要因分析・対策立案の結果、 最善でないと判明したら、 どうするのか? 目標を変更するというなら、 データに基づかないカンに基づく誤った目標決定であったことを認めたことになるから、 その目標決定のやり方を撤回しなければならない。 また、 小集団活動では目標を設定すべきでないこと後述の通りなので、 この点も併せて、 STEP なる手順の全体を撤回すべきである。 |
2. 妥当願望説 目標は単なる理想や願望ではなく、 妥当な願望をいう。 <解説> テーマに取り掛かった初期段階では、「何を狙うのが最善か」 という狙いの対象も、「どうやってそれを狙うか」 という狙うための手段も不明だから目標が立つはずはなく、 明らかにすることが出来るのは願望だけである。 この説が 「妥当な」 という条件をつけたのは 「理想を目標にするのは酷」 とする趣旨と解される。 しかし、 実態は願望なのだから、 目標と言い換えないで率直に 「願望・願いごと」 と表現すべきものである (ニーズの確認)。 右の図はトヨタ系のQCサークルで相互に模倣し合っている事例である。 |
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ここで言う 「目標」 は 「願望・願い」 を 「目標と言い換えたもの」 で達成して当然という関係にないから、 このような場合は 「目標達成率」 という指標で成果を評価してはならない。 仮に目標達成率で評価するものとしよう。 |
その場合、 60%の達成率では低いし、120%なら高いと評価できるだろうか? 「達成して当然」 のところが何%なのか分からないと、 低い高いは言えない。 いわばゼロ点調整がされていないマイクロメータで寸法測定をするようなもので、 全く無意味である。 達成率 100%をもって当然の達成率とし、 それよりも低いければ 「低い」 という評価、 高ければ 「高い」 という評価が成り立つのでなければ、 目標達成率で評価することは無意味となる。 ところが願望を目標と言い換えた場合は、 達成率 100%が当然ではないから、 まさにゼロ点調整ができていない。 |
達成率が 60%でも立派な成果かも知れない反面、 達成率が 120%だからと言って必ずしも立派とは言えないから、 目標達成率で成果を評価する意味がなくなる。 逆に、 目標達成率を評価する基準にならない 「目標」 なら、 それは実は目標ではなかったことが明らかとなる。 もう一つ、 これらの事例では 「目標値=ゼロ件」 としているが、 もし 「目標値=3件」 と設定すれば別の結果になっただろうか? ゼロが願望であることは以前から明確なのだから、 この目標値を0件としようが3件としようが全く結果は変わらないであろう (ムダな設定)。 |
また、「何を、 どこまで、 いつまでに」 と言ういわゆる 「目標の3要素」 に従う点も誤りである。 QCサークルは、もともとの性格は日常管理である。 「費用をかけず、QC手法を駆使し工夫を凝らしてどこまで改善できるか分からないが、 PDCAを繰り返して、 行けるところま行ってみよう」 との趣旨だから、 目標など立てようもない性質の活動である。 だから、 当初のQCストーリーには 「目標の設定」 というステップは含まれなかった。 その後、 心ない研究者が目標管理という誤った理論の影響を無批判に受け入れて現在の姿に修正し、 しかも 「何を、 どこまで、いつまでに」 を 「目標の3要素」 と呼ぶように指導した。 |
これをトヨタ系の企業がまね、 すると他社も一斉にまねたのである。 QCサークルでは (フィードバック管理だから) 目標を設定しないのが正しい。 方針管理などの大改善では (フィードフォワード管理だから) 目標を設定する。 しかし、目標を決めるには、 当然に品質・時間・コスト・安全・環境保全を考慮するから、 「目標の3要素」 という原則も存在しない。 彼らが目標と呼んでいるものは 「自己の願望」、 「上からのノルマ」、 「ある目的のためのニーズ」 のいずれかである。 そして、 彼らが目標達成率と呼んでいるものは、 結果/願望=満足度 であると推測される。 |
3. 挑戦説 目標とは、 挑戦の対象をいう。 出来ないものに挑戦するのはムリである反面、 出来るものだけに挑戦したのでは進歩がないから、 「これなら出来そうだ」 と思われる値の少し上を目標にする。
<解説> ・ 10に挑戦したが投資対効果の点で8を狙うことに決めた場合に、 前の10を目標と呼んでしまうと、 後の8を何と呼ぶかという問題になる。 |
・ 出来そうな値が全く不明な場合はどうするのか? この説を採用すると、 「どこまでできそうか想像もつかない」 と正直にいえば叱られるから、 体裁上の目標を立てるしかない。 ・ 目標=挑戦の対象だとすると、 『目標が高い=挑戦心も高い』 ということになり、 体裁を考えて設定することになる。 ・ 体裁で目標を定めるから、 結果の発表も体裁が中心になる。 こうして目先の体裁を中心とする企業風土に陥って、 改善事例発表会はホラ吹き大会の代名詞になった。 |
4. 予定変更説 目標10に挑戦したが、 その結果、 投資対効果の観点から最善が8であると判明して8を実現することになった場合は、 目標を10から8に変更する。 目標は一種の予定であって、 実情に合わせて変更する必要がある。
<解説> この説は、 主観説の誤りを認めつつ、 目先の修正でまかなおうとするものである。 前者は願望・必要性、 後者はデータとトレードオフによる最善値である。 |
従って、 この説が提唱していることは 「目標の変更」 ではなく、 前者を不適切として廃棄して、 後者を正しい目標として新たに設定することである。 この説が変更 (=つじつま合わせ) を考えるのは、 主観説の目標が不適切で客観説の目標が妥当だからである。 しかし、 もし目標をその時々の状況によって変えるなら、 最初の目標A、 検討後に目標B、 対策実施中にBが高すぎるとして目標C、 実施の終了寸前にCが低過ぎたとして目標Dが生まれる。 これでは、 「目標のつじつま合わせ」 であって、 目標設定の意味がなくなる。 |
5. 上位方針準拠説
会社の方針、 上司の方針など、 上位方針に沿った目標にする。 |
<解説> 「会社や上司の目標をどう立てるのか」 という問題にすり替わるだけである。 この説は、 方針管理で登場することが多い。 なお、 図表2bを参照のこと。
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6. 活動評価説 改善が充分かどうか、 判断の基準とするために目標を設定する。 そのため、 「成果/目標= 目標達成率 」 とする。 <解説> 第1に、 主観説の目標は 「挑戦の約束」 として設定したのであって 「達成の約束」 はしていないから、 達成度の基準とするのは前提に反するものである。 「挑戦の約束」 だから、 どのような挑戦の仕方をしたのか、 新しいアイデアの程度や努力の程度などを評価すべきであり、 得られた結果によって影響されるべきでない。 この点の検討もれが今日の 「成果主義の破綻」 を招いていることは、 大方、 周知の事実である。 |
第2に、 改善が充分かどうかの判断基準となる目標を事前に (手段を見つける前に) 設定できるなら、 その判断は事後でも可能だということになり、 つまり前もって設定の必要がないという矛盾に陥る。
一般論として、 「これ以上、 よい手段は思いつかない。」 とか、 「これ以上進めるには金がかかり過ぎる。」 というような壁に当たって活動が終わるのが通常である。 なぜなら、 「さらによい手段があり、 金も大してかからない」 なら、 改善を停滞する必要がないからだ。 この壁を 「事前に決める」 ことは、 実務ではほぼ不可能である (予言マジックなら別だが)。 |
7. 年々累積説 毎年30%の改善を目標にして、年々改善を重ねる(大野耐一氏)。 <解説> これは方針管理で登場することが多いが、 理由付けがない。 毎年25%ではなぜダメなのか全く不明で、 単に 「そのようにして改善を進めて成功した」 との経験談であって理論ではない。 目標なしの改善も可能であって、 そのような体験をした人が 「目標は不要」 と唱えるのと全く同等である。 ある特定企業での成功を経験談として述べても、 他の企業で通用するとは限らないし、 それが最善とも言えない。 |
企業によって、 資金力・人材・設備・業種などが著しく異なるからだ。 どのような企業にも通用し、 かつ最善であるためには、 理論的な裏付けが必要である。 そのことは、 改善に成功した企業から講師を招いて模倣しても成功例がほとんどないことから明白である。 トヨタ自動車(株)の業績が優れるため、 「トヨタに学ぼう」とする人が多く、 出版社は成功例を出版したがる。 だが金持ちが書いた 「儲ける方法」 の本を読んで儲かった人は少ない。 トヨタ自身は誰からも学ばず自ら工夫するから、 トヨタから学ぶべき唯一の教訓は トヨタから学ぶな である。 |
8. 二元説 Quality objective: something sought, or aimed for, related to quality (ISO 9000). 獲得に努力し、又は、獲得のために狙うものをいう。
<解説> ISO 9000 が採用している定義である。 |
手段も結果も分かっているが、どれを狙うかを決める場合である。 この意味の目標は、 通常 "objective" を使う。 従って ISO 9000 は、 客観的な目標概念を中心に置きつつ、 主観的な目標概念も排斥せずに、 評価を取引の当事者に委ねたものと解することができる。 なお、 "object" と "objective" の違いについて、 ライトハウス和英辞典(研究社)が参考になる。 JIS Q 9000 の翻訳文が 「追及し、目指すもの」 となっていて 「又は」 を欠いているのは適切でない。 |
9. TPM の不良ゼロ説 不良はゼロを目標にする。 TQCでは、 不良をゼロにするには金がかかって採算が合わなくなる、 などと言って適当なところで止めてしまうが、 TPMでは、 PM分析 を行って不良ゼロを実現する。
<解説> 日本メンテナンス協会の主張である。 しかし、 PM分析は適用できる分野が非常に狭いのであって、 一般的に 「目標=不良ゼロ」 とするのは明白な誤りである。 特に、 採算を無視した不良ゼロの実現を肯定するような主張は論外である。 いろいろ検討した結果、 こういう方法をとればこの投資額で不良ゼロを実現できることが判明し、 しかも、 採算面、 労働安全、 製品安全、 環境性でも問題がない。 |
故に、 不良ゼロを目標に設定した。〜というのであれば結構。 何も文句のつけようもない。 しかし、 不良ゼロでなければならない、不良ゼロにしたい、 故に不良ゼロの目標を立てた。 だが、 方法も出費額も分らない。 〜というのであれば、 考え方を根本的に改める方がよい。 クレーム・ゼロや原価低減についても同様である。 「TPM を導入したら、 年間45億円の改善ができた。」 と胸を張る経営者がいた。 しかし、 人が減ったワケでもなければ、 売上が増えたワケでもない。 何が変わったためにそれだけの改善になったのか、 分からないのである。 社員が 「これだけの改善になった。」 と発表する金額を合計すると全くありもしない改善効果になるが、 「これが TPM の効果だ」 などと信じてはならない。 |
10. 二次的効果説 (達成感説) 願望を目標にするのではなく、 「力まずとも手の届く目標」 すなわち、 確実に達成できる低い目標 にすべきだ。 なぜなら、 目標を達成できないと無意識に失敗感が沈殿し、 繰り返されると 「鬱気分」 を誘う。 むしろ手の届く目標にすれば目標達成による本来の効果の他、 「達成感」 と 「能力伸長の実感」 という二次的効果が得られる。 〜と説く。
<解説>
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この説が 「絵に描いた餅」 の悪習慣を導く主観説の欠陥を指摘した点は正当である。 だが、 主観説に立ったまま主観説を批判するから根本の矛盾に迫れず、 新たな矛盾を作ったに過ぎない。 |
11. 「目標−現状=問題」 説 目標を設定することにより、 現状と目標の間にギャップとして問題が認識される。
<解説> これは中学校の入試問題にしてもいいぐらいの「やさしい間違い」である。 第1に、 「目標−現状=問題」 であるなら、 現状が分かっているなら 「目標と問題の一方が分かって他方は分からない。」 ということはあり得ない。 従って、 「問題が分からない人は目標も設定できない」 はずである。 第2に、 この説に従うならQCストーリーは目標の設定が先でテーマの選定はその後でなければならないことになる。 |
にもかかわらず、その主観説自身が 「問題を取り上げた後に目標を設定する」 というQCストーリーを唱えるのはどうしたことか? 自説を否定する矛盾をどう説明するのだろうか? 第3に、 その 「あるべき姿」 が何なのか、 さっぱり分からない。 「理想を意味するのではなく諸般の事情を考える」 と言いながら、 その 「諸般の事情」 とは何を指すのか不明である。 われわれには、 特に設定しなくても、 不良はゼロ、 クレームもゼロ、 災害ゼロ....などの願望 (ニーズ) がある。 だから現状を知っただけで 「何とかならんか」 と問題を意識する。 つまり、 ニーズと現状の差 が問題・課題なのであって、 目標は諸々の得失を考慮した最善策を発見して 「よし、これで行こう」 と決断したときに設定されると解する。 また、QCサークルのような小改善の場合は、 「何とかならんか」 との問題意識だけで十分であり、 目標の設定は不要と考えるべきである。 |
以上に関連して、 「ギャップ・シート」 という問題・課題を明確にする手法がある。 つまり、
こうすれば職場や企業の課題を全体的に把握できるというのだが、 「必要なレベル」 が必ずしも分からないのである。 QDC一体管理を前提にすると、 クレームゼロや不良ゼロが必要なレベルとは限らないし、 在庫ゼロが必要なレベルかどうかも、 投資額・投資対効果・最善性の検討を経なければ何ともいえない。 小集団活動 (QCサークル) は、 少しでもいいから出来るだけムリ・ムダ・ムラなくそう〜という活動であって、 必要なレベルとか目標とかを設定しない活動である。 |
小改善案を計画し(P)、 実施し(D)、 結果を見て(C)、次の手を考えよう(A)〜という Feed-back 活動だから、 「成果がこうでなければならない」という拘束がない。 他方、 方針管理のような大金を投じる活動では、 投資対効果や最善性など、 成果について拘束がある。 だが投資対効果や最善性はそれなりの時間と費用をかけて検討しなければ分からないから、 簡単にギャップ・シートを作るワケに行かない。 ムリに作ると、 体裁上のものになる。 例えば 「現状と必要レベルの差」 を挙げるはずが、 いつのまにか 「現状と願望の差」 になり、 願望=理想 となり、 「現状と理想の差」 になって行く。 これは 「描いた餅」 である。 従って、 テーマ・ストック という形で課題・手段・投資額・目標などの関連事項を一括して明確にするのが最もよいと思われる。 |
12. 統計的推測説 過去の出来高をデータとして次回の出来高を予測する統計手法がある。 そのような統計的根拠によって推測された出来高を目標という。
<解説> |
「イ.目標値設定の根拠: 工業出荷額の目標値の設定にあたっては、平成6年から平成10年におけるこの地域の工業出荷額の年平均伸び率4.62%を島根県全県、旧テクノポリス地域及び旧頭脳立地地域、全国と比較し、昨今の経済状況を勘案して年平均伸び率を3.0%と設定して算出した。」 この 「目標」 は統計的な予測であり、 挑戦するとも実現するとも言っていない天気予報のようなものだ。 「明日は晴れ」 という予報が目標設定だというのだから、 呆れる他はない。 |
13. 「絶対目標・希望目標」 説 目標には、これだけは絶対に達成しなければならない絶対目標(must)と、 出来れば達成したいという希望目標(want)がある。
<解説>
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「可能かどうかも、 最善かどうかも分からないもの」 を絶対視することを承認するこのような学説は、 社会保険庁や道路公団の経営のように、 大赤字になっても誰か他人が補填してくれる仕組みを前提にしなければ成り立たない。 大日本帝国時代のわが国は、 ノモンハン事件、 インパール作戦、 ガダルカナル海戦など、 幾多の 「絶対目標」 に目がくらんで最善を逃し、 多大な犠牲を内外国民に強いて敗戦した。 |
14. 「出来るだけ」 説 「どこまでできるか判らないが、ともかくできるだけやってみよう」 というような目標もあって良いし、そのような目標に挑戦する姿勢があながち悪いことはない、 と説く(例えば、福田渚沙男氏)。
<解説>
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高額な出費・投資を伴う改善は、 Feed-forward 式に 「結果の保証、最善性の保障」 のために石橋を叩く必要があり、 これが目標の設定である。 QCサークルや日常管理で行う小改善は、 石橋を叩かないで Feedback 式に 「PDCAを繰り返して、 行けるところまで行こう、 できるだけ願望を満たそう」 と取り組み、 目標を設定しない活動である。 |
15. 「予測効果説」 説 いろいろある願望のうち実現したい願望を選んで 「目標」 として設定し、 手段を検討した結果 「これで行こう」 と決めた時の効果を 「予測効果」 という、〜と説く。
<解説> |
しかし、どの手段も予測効果を伴うのであって、 検討した結果、
すると、「狙うことに決めた予測効果」 のことを 「予測効果」 とは呼び得ないのであって、 これこそが 「目標」 であることが明らかになる。 |
以上の諸説を概観すると、 目標に関する考え方は大きく分けて3つのグループに分けることが出来る。
これは単なる予測であって、 目標を設定した者が何かをするというものではない。 故に、「目標達成率」 という概念は適合しない。 |
努力・挑戦はするが結果は保証の限りではない ので、 「目標達成率」 という概念は適合しない。 目標達成率で評価しできない以上、 目標もあり得ない。 主観説は、 「ニーズ、 願望、 ノルマ」 を目標と勘違いしている。 |
これら3つの態様のうち前二者が主観説、 後者が客観説である。 "Difine what the results are." という P.F.Drucker の目標概念を無批判に受け入れた主観説の主張をいろいろ見てきたワケだが、 主観説にこのように多数の見解があるのはなぜか? |
客観説に立った場合、 目標の意義・目的・設定手順・用途などに異なる多数の見解があるとは思われない。 すなわち、 間違った見解は無数に存在することが可能だが、 科学的アプローチとしての正解は一つなのである。 非常に簡単に表現すれば、 猟銃と腕を持つA君と猟銃も腕もないB君がいて、 「あのカモを目標にする」 と宣言した場合に、 A君の決意は目標設定であるが、 B君は実現手段を持たないから願望を表明したに過ぎないことになる。 |
さて客観説に立つとして、 われわれの活動には3つのタイプが存在する。
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そこで次の章では、 活動手順に大きな影響を与えているQCストーリーの問題点を抽出し、 それらを解説すると同時に解決の道を模索することにしよう。 ここらでティー・タイムと行こうか。 |
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客観説─QC 客観説─品質管理 1 1_2 1_3 2 2_2 3 4 5 5_2 6 6_2 6_3 7 7_2 8 9 10 no_smoking no_smoking2 fmea fta q_a seminars seminar1 seminar2 seminar3 seminar4 FMEA/FTA・特性要因図 ─ 研修セミナー 時事評論コラム なるほどダイエット |